わたしは実母・義母どちらともウマが合うほうではありません。でも、仲が悪いというわけでもありません。
わたしと両母
わたしは実母も義母もそんなに得意ではありません。でも、他県で離れて暮らしており、年に数度しか会う機会がないからか、なんとかうまくやっています。
ただ、どちらの家も日帰りできるほど近くはないので、会う時はこちらが行くにしても、向こうから来てもらうにしても、泊まりがけで最低でも2日は一緒に過ごすことに。
その中で、正直、心底腹の立つこともしばしばあるので、衝突したり、まったく行き来しない、という選択肢もありますが、会ったときはなるべく楽しく過ごせるように努力しています。
そして、その努力ができるかできないかは、自分がなにを生活の中で優先するかにかかっている気がします。
わたしの場合は、日々楽しく暮らすための努力は惜しまないほうなので、両母たちと接するときもそれに基づいて行動しています。
日々楽しく暮らすには
わたしにとって、日々楽しく暮らす、というのはどういう状態か?というと、マイナスの感情や言葉を発するものから、なるべく遠ざかることになります。
結局、自分が発する言葉は、自分の耳にそのまま還ってくるので、自分がマイナスの言葉を発すると同時にそれを浴びることになり、ダブルでダメージを受けるような気がします。
また、人が発したマイナスの言葉や態度にもダメージを受けます。受動喫煙みたいな感じで。
だから、わたしは自分のため+旦那や息子に不快な思いをさせたくないために、母たちと衝突したり、そのことで愚痴を言ったりしないように気を付けているというわけです。
友人同士で遊んでいても、同じグループに犬猿の仲の2人が混ざっていると、みんなが気を遣って疲れてしまいます。家族の中に仲が悪い人同士がいると、やはり周りが不快になるので、とにかくあの状態を避けたいのです。
以前、このブログの記事にも書きましたが、人体は70%は水でできている、という話を本で読んでから、余計にマイナスの言葉には気を付けるようになりました。
過去記事↓
母への具体的な接し方
さて、わたしがなるべく避けている、ネガティブ発言ですが、両母共にネガティブ思考なので、マイナスの言葉を乱発しています。
わたしはそれをうまくいなす、というか、言い換えるようにしています。
2人に共通して多いのは次のふたつです。
・やる気が出なくなる言葉(疲れた、忙しい、あちこち痛い、暑すぎる、等)
・人の悪口
これを、たとえば
「疲れた~」 → じゃあ今日はゆっくり休もう~
「暑い」 → 冷たくて美味しいものをなにか食べよー!
「忙しかった」 → 今日もよく頑張った!
という感じに。
また、人の悪口や世間への怒り発言は、一歩引いて、なぜこの人はこう感じるのだろう、ああ、そうとらえられてしまうこともあるのか、と分析しています。
その他、言動でイラッとしてしまうときは、相手はそんなつもりはないのに、わたしの捉え方でわたしが勝手にイラッとしているだけなので、そのイライラが過ぎ去るのをしばし待つだけです。
3分別のことをすれば、たいがい平常心に戻りますが、それが日に何十回とあるので、よい修行になります。
人間関係がなかなかうまくいかないのは、人の未熟さからくるものだと思っています。
なので、そもそもイラッとしなくなることが、将来の目標です・・・。
たまには毒吐きも必要
とはいえ、いつも善人面ばかりをしているのも、もしかしたら逆に身体によくないかもしれません。
先日、NHK朝ドラを見ていて、よい憂さ晴らしの方法をみつけました。
主人公の家族のひとりが、みんなでお茶を飲んでいる食卓で、「今日、これだけはどうしても嫌だった」という仕事の愚痴をひとつだけ、ちょっと大きめの声でこぼしたあとに、「はい、毒吐き終わり~。タバコ吸ってきまーす♪」と、その場を去っていく、というシーン。
これなら、本人もみんなが話を聞いてくれて、ちょっとスッキリするだろうし、周りのみんなも嫌なムードをひきずらず、気をつかわせなくてよいかもしれません。
わたしも、どうしても何か言いたくなったら、家族に「ひとつだけ愚痴言わせて」と頼んでみようかな、と思いました。
しかし、わたしの普段の毒吐きは、心の中で行っています。
心の中だけで思うぶんには、人を傷つけにくいので。
まあ、どうしてもその瞬間は顔に出ちゃっていると思うので、なるべく人のいないところで・・。
反面教師の効果も
また、人のふり見てわがふりなおせ、ということで、母たちの言動をみて、自分の旦那や子供への態度にも似ているところがあるな、と反省することも。
とくに実母は、やはり親子ですから、わたしも同じようなことをしているかも・・、と思い当たることが多々あり、よい反面教師になっています。
目標となるお年寄りをみつける
さて、人知れず自分と戦いつつ、なんとか楽しい暮らしを手に入れようとしているわたしには、なりたいものがあります。
それは、素敵なおばあちゃんです。
「ポツンと一軒家」などなど、高齢の方が出てくる番組には、ときどきスーパーおばあちゃんが出てきます。
誰に言われなくてもコツコツ働いていたり、生き生きと自分の好きな道を極めていたり・・。
わたしが死んだあとは、「お母さんいつも楽しそうだったなー」と、息子や孫に思ってもらえるようになりたい。
そのためには、母たちともなるべく楽しい時を過ごしたいものです。
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