中国の友人一家が訪ねてきてくれました。
中国人の友人
わたしは2000年前後に中国の武漢に留学していたことがあります。コロナ発祥の地として有名になった内陸の都市です。
中国留学では、中国語を学びたい留学生と、日本語を勉強したい中国人学生が交流する「互相幇助」という習慣があり(今でもあるのか不明ですが)、日本語学科の学生さんたちとよく遊んだものでした。
その中の一人「李さん」が、夏休みに子どもたちを連れて我が家に遊びに来てくれました。
一般的中国人である李さんの生い立ち
わたしの留学中に見た李さんは、いかにも「苦学生」といった感じ。
我々日本人留学生は遊びまくっていましたが、当時の中国の学生さんたちの遊びといえば、大学内で催されるダンスパーティーのようなものに行ったり、同じくキャンパス内で野外映画をみたり(いずれも無料)、ネットカフェでひたすらネットを見たり(1時間日本円で数十円でした)。
李さんは、そういうものすら参加せず、ひたすら勉強していたと思いますが、日本語の勉強のために留学生寮には週に1~2度遊びにきてくれていました。
出会ったのは彼が2年生になったときでしたが、既に結構日本語が喋れていたと思います。
李さんは四川省の農村の生まれ。子どもの頃はお父さんがレンガ職人で結構裕福だったそうです。村で一番最初に自転車を買った、とか。
しかし、その後コンクリート建築が主流になり、レンガの仕事はなくなって、お父さんは農家に転身します。さらに、仕事で怪我をしてしまい、重いものが持てなくなったので、生産できるものも限られてきて、生活は困窮していきます。
そんな中での大学進学です。
当時、中国人の学生が使えるお金は、人によってかなり貧富の差があったと思いますが、下は月200元〜上は500元(3000〜7000円)くらいでした。
それに対して、我々留学生は月2000元くらい使っていました。中国人学生の10倍です。といっても、2000元は当時の日本円で約3万円ですから、日本で暮らすよりはかなり安く、しょっちゅう外食して豪遊できていた、というわけです。
今日本の大学生が仮に月10万円でやりくりしているとしたら、留学生が100万円使っている、と聞けば驚きますよね。
李さんが日本語学科を選んだのは、将来日本企業で勤めて裕福になるためだったそうです。
李さんの今の中国での生活
李さんは卒業後、Tヨタ関連の合弁会社に就職しました。
そして、わたしの帰国から約5年後、李さんが出張で来日した際に、わたしたちは日本で再会しました。ちょうどうちの息子が生まれた直後で、赤ちゃんを見に来てくれたのです。
その後も出張で日本に来たときは、留学生仲間みんなで何度か集まりましたが、今回は仕事ではなく純粋な家族旅行でした。
現在、会社では課長さん。
子どもの教育のために会社に近い郊外から街中のマンションにうつり、50キロの道のりを車で通勤しているそうです。
李さんの場合は、ちょうど中国の経済成長にのり、たった四半世紀ほどの間に農村での暮らしから苦学生時代を経て、家族で海外旅行に行けるまでに生活は激変し、チャイニーズドリームを果たした、というわけです。
ここまで生活が変わるなら、勉強しがいがあるなぁ、と思います。
李さんから息子へのアドバイス
中国での今の生活についてどう思う?と李さんに聞いてみたら、
「とにかく国と会社に感謝している」、と言っていました。
一生懸命学びたい人には奨学金で平等にチャンスが与えられており、自分は大学に行けた。
そして、希望通り日本企業に就職し、家族もできて(子ども3人!)、仕事も私生活も充実している、と。
こういうふうに常に周りに感謝する考え方ができると、幸せに生きられますね。
そんな李さんから日本の若者であるうちの息子へのアドバイスを求めると、
「昨日より今日がちょっとでもよくなるよう努力し続けること」
だそうです。
重みのある言葉ですね。
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