旦那が会社を辞めてから変わったこと

生き方・考え方・哲学

2020年の秋、旦那が勤めていた会社を辞めました。あれからはやくも1年が経過しましたが、旦那の退職に伴い我が家の中で変わったことについてお伝えします。

旦那が仕事を辞めた経緯

旦那はもともと転職癖のある人で、今までもいくつか職場を変わっています。

新卒でまず入ったのは一部上場の重工メーカー。それからベンチャー企業に転職し、わたしはその頃旦那と出会って結婚しました。

そして、出産間際に次の会社へ転職。時代はITバブルで景気がよかったんですね。転職は他県への引っ越しを伴いましたが、一部上場の企業で生活は安定していました。

しかし、この会社は入社当初から「あまり合わない」と旦那は感じていたようです。そうはいっても子供も生まれたことだし、しばらくは続けてくれました。それでも何度も辞めたい、というので、これは困ったな、と思って、家業として農業を始めることにしました。年齢的にももう転職は難しいと思ったからです。農業は完全な非農家からの新規就農です。まったく素人なので、軌道にのせるまで何年かかかりました。

それでも、だましだまし兼業農家として会社勤めを続けていたのですが、昨年はコロナの影響で会社が大々的に希望退職者を募ったので、それに手を挙げて、15年勤めてめでたく退職となりました。ちなみに旦那の年齢は50代前半です。

まずは家計のシュミレーション

会社を辞めるとなると、当然ながら困るのは定期的な収入がなくなることです。いちおう農業という家業がありますが、それだけで生活できるほど稼いではいませんでした。それでも、さんざん家計のシュミレーションをしてみて、何とかやっていけそうだったので、退職を決めました。決め手は以下のとおりです。

・現在抱えているローンがなにもない
家は持ち家ですが、親の援助もあって住宅ローンはすでに完済しています。なので、住居費は固定資産税だけですみ、その他のローンもありません。

・退職金が思ったより多かった
コロナ関連の希望退職なので、普通に辞めるより退職金がかなり上乗せされました。希望退職者を募るときに、退職金も含めて税金や企業年金などの額が個別にちゃんと試算されるので、それを見て、どうせ早晩辞めるのなら今のタイミングが最高だな、と思いました。

・若干の不労所得がある
太陽光発電と株の配当で、現在年間80万円程度の不労所得があります。それだけでも結構心強いですね。

・いちおう家業がある
農業収入は波もあるのでそんなにあてにはできないのですが、年間を通してマイナスになることはまずないので、いちおう収入は得られます。完全に無職よりはマシです。

・子供の教育費はすでに目途が立っている
子どもが生まれてからすぐに教育費の積み立てを始めたので、大学まで行かせるだけの学費の用意はできています。

以上のことをふまえて、100歳までのライフプラン+家計費をシュミレーションしてみましたが、まあやっていけるでしょう、ということで、無事に退職となりました。

ただ、今までそこまで贅沢をしていたわけではありませんが、生活費についてはシビアに考えることにしました。車を一台手放したり、各々の費目の予算をきっちり決めたり・・。家計管理方法についても、今までの月単位の予算から年単位に変えました。この点についてはまた別の回で詳しく書きたいと思います。

わたしの生活で変わった点

旦那が会社を辞めていちばん影響があるのはもちろん妻であるわたしです。何がいちばん困るって、旦那がいつも家にいることです。

これは、旦那が定年退職された場合の奥様方となんら変わりのない悩み(というほどでもないけど)です。毎日決まった時間にお昼を用意しなければいけないとか、一人の時間がなくなったとか、出かける際にいちいちどこへ行くか聞かれるとか・・・。

このわずらわしさの解決方法としては、今まではなかった自分の部屋をつくってもらいました。わたしは俗にHSPとよばれる繊細気質なので、こうしてブログを書くのも一人の空間じゃないと絶対にダメなのです。

また、旦那が退職しても、農業の経営規模を大きくしてガッツリ稼ごうとは思わなかったので、副業をいくつか始めました。ライター業をしたり、Youtubeチャンネルを開設したり、メルカリで物販したり等々。大した稼ぎにはなりませんが、チリも積もれば、です。

息子の反応

旦那が退職当時はお年頃の中3で、高校受験も控えていましたが、当の本人はまったく影響ないかのように変わらず淡々と過ごしています。

まあ父親が会社を辞めたい、と言い出すことはこれまでも何度もあったので、いつか本当に辞めるだろう、と覚悟はできていたのかな、という気がします。

わたしがおぼえている限りでは、息子が小2のときに、旦那が「お父さん、会社辞めてもいいかな?」と息子に聞いたら、ビックリして、「絶対ダメだよ〜〜〜っ!!」と答えていました。旦那も逆にビックリして、「え?ダメなの?じゃあまだ会社行くね」と素直に引き下がりました。息子ナイス!

そして息子が中2の夏にも、「今度こそ本当に辞めてくる」となったことがありました。そのときは「え?今?」とドン引きしていましたが、もう半分大人なので、さすがにダメとも言えず、わたしと2人、お父さん本人が決めることだから仕方ないよね、と納得していました。そのときは幸い上司の方が説得してくれて、辞めずに済みましたが。

そして、中3の春にパンデミックが起こったときは、リーマンショックのときのように会社がまた早期希望退職者を募るだろうな、と予想できたので、退職が決まるまで数カ月の猶予がありました。なので、本当に退職する、となったときにすんなり受け入れられたようです。また、今後のライフプランシュミレーションについて息子にもちゃんと説明し、大学の学費についてもすでに準備できていることを伝えたので、本人にとって不安材料が何もなかったというのも、息子が平然としていられる理由だと思います。

憧れと現実は違った 旦那の生活

さて、当の旦那本人ですが、退職してからは農業はそこそこに、それ以外の時間は好きなDIYなどをして過ごすようになりました。もともとお金はほとんど使わないでできる趣味(DIY、釣り、ジャンク品の修理など)が多く、今まで兼業農家で忙しかったのが、かなり時間ができたので、いつもゴソゴソ何かやっています。

先に述べたように、旦那が退職したからといって、農業の規模を大きくするつもりはありませんでした。すでに就農してからかなりの年数が経っていたので、だいたいどのくらいの規模でどのくらいの利益が出るかよくわかっているからです。もし農業だけで生活費のすべてを賄おうとすると、休みもなく働きづめになってしまいます。前より忙しくなった上に、ただ貧乏になった、ではせかっく会社を辞めたかいがありません。

そこで、農業経営を軸として、それ以外に夫婦それぞれが副業で年間50万円を目標に稼ごう、ということになりました。だからわたしはいろいろと始めたのですが、旦那のほうは結局お金になることは一切何もやりませんでした。

退職前はサラリーマン以外でお金を稼ぐ手段として、あれもやりたい、これもやりたい、といろいろと言っていました。たとえば林業や狩猟、伝統工芸などです。しかし、現実には何も始めない、どころかろくに調べもしませんでした。数か月経ってやらない、ということはこの先もずっとやらないだろうな、と感じましたが、わたしがけしかけても本人にやる気がないのなら仕方のないことです。

最近気づいたのですが、テレビ番組などを観て、「こんな生き方いいなぁ」「自分もこういうふうになりたい」「わたしが本当にやりたいのはこんなこと!」等々思ってしまうのは、ただ単に自分にないものに憧れているだけなのかもしれません。

旦那は竹細工職人や陶芸家、自給自足的なものに憧れているようですね。わたし自身はピアニストや歌手、芸術家に憧れるのですが、とうていそんなものになれるはずもなく、ピアノはいくら練習しても人前で弾けるレベルにはまったくなりません。また、「日々の暮らしを丁寧に」みたいなテーマのテレビ番組もよく観てしまいますが、現実の行動にはうつせないので、やはりせっかちで合理主義者である自分とは対極のものに憧れているだけなんだな、と思います。

というわけで、農業以外の時間はただ単に趣味に費やしているだけの旦那は、まったくストレスもなく、本人は自称「今がいちばん生き生きしている」と言っているのですが、それではわたしが困るんです!なぜなら農業経営も家計管理もわたしがすべてやっているので、旦那はわたしが指示した農作業を何も考えずにこなすだけ。若干のおこづかいと潤沢なDIY費を渡してあるので、お金の心配もまったくありません。子供のこともわたしがすべて把握しているので、旦那は傍観者。これが年金などがもらえる完全なご隠居さんだったら、このままでもよいと思いますが、年金受給開始までまだ15年近くありますから、その間わたしだけがいろいろ抱えて大変なのは不公平では??

やはりサラリーマンが向いている旦那

そんなこんなで、たまたま縁あって旦那は今年の夏再就職しました。といっても、週3日だけの勤務なので、半農半サラリーマン、セミリタイア状態です。しかし、週3日の勤務なのに奇跡的な好待遇。準社員という扱いで、月給制、社会保険にも加入させてもらい、有給休暇もあります。

ちなみに、なぜ再就職に至ったかというと・・・。失業給付を受け取るには、月に一度就職活動をする必要があります。前の会社の退職者サポートの一環で、産業雇用センターのようなところを紹介してもらったので、就職活動の実績をつくって、給付金をもらうために、そこに月1で通うことにしました。そこでも「伝統工芸のような仕事ありませんか?」といちおう聞いていたみたいですが、そんなところにそんな仕事が転がっているわけはなく・・・。しばくはのらりくらりと面談だけして、失業給付を受け取っていたのですが、雇用センター側も就職活動の実績をつくってもらわないとまずいそうで、「とにかく一度はどこかへ面接に行ってもらいたいので、とりあえず業種を一回技術職に変更してもらえませんか・・?」「ま、いいですけど、農業もあるので週3日くらいで探したいんですが・・」などというやり取りを経て、ありがたいことに週3日でもいいから来てください、と名乗りをあげてくださった会社さんにお世話になることになったのでした。もう50歳を過ぎて再就職はないだろうな、と思っていましたが、長年技術職で、複数の職場に携わった経験が評価されたようです。

今回の件で、旦那はやはりサラリーマン向きなんだな、と改めて思いました。兼業農家時代は会社の仕事が忙しいから、とわたしが中心となって農業経営をしていました。それが、退職してからも旦那の農業へのかかわり方は会社員時代とまったく変わらなったのです。たとえば、農業というのは、ひとつの作物を作るのに、資材注文→畑の準備→育苗→定植→管理→出荷・・・と、作業が切れ目なく続きます。しかも、複数の作型や、複数品目を栽培するのが普通なので、365日何かしら気にかけておかないといけません。これは子育てにとてもよく似ていると思います。でも、旦那のかかわり方といえば、「今日は定植」とか「今日は収穫」となったときだけ集中して、高いパフォーマンスを発揮します。でも、なぜか自分で主導して、栽培のスケジュールを立て実行することには興味を持たないのです。会社でも管理職は経験しなかったので、誰かにある程度管理されて、チームの中で生かしてもらったほうが能力を出せるタイプみたいです。だから、個人事業主のような仕事はまったく向いていないのですね。陶芸家でもなんでも、個人で生計を立てている人は、ただものを作るだけでは仕事にはなりませんから、憧れに終わってしまうのも無理はありません。

というわけで、旦那が天職であるサラリーマン(本人は無自覚というか、絶対に認めませんが)に半分でも戻ってくれて、いちばん嬉しいのはわたしです。やはり亭主元気でときどき留守がよい、というのが本音です。ただ、いつまた辞めると言い出すかはわからないので、この生活がいつまで続くかわかりませんが、この先たとえまた失業しても十分やっていけそうなことが確認できたので、この一年間でそれがいちばん大きな収穫でした。

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