東大は本当に行く価値があるのか?詰め込み教育の意味

子育て・勉強法・お金教育

東大卒の有名人が、東大をディスっているのをよく耳にしますが、東大は本当に詰め込み式の学習だけしてきた人が集まるところなのでしょうか?東大に進学する価値について、私見を述べたいと思います。

東大に入って得することは?

息子は東大の理Ⅰ志望。東大の理系学部に進学することの魅力のひとつは、研究費の配分額が多いことだと思います。国の研究費の7割は国立大に配分されており、その中でも東大はトップの配分額となります。もちろん国以外の団体や企業などからのサポートもあるため、スーパーカミオカンデの設備などを見ると、やっぱり桁が違うという感じがしますよね?

理系学部なら大学に入っていちばんやりたいことは研究のはずです。なので、理系ならやはり国公立、中でも特に研究費の配分額が多い旧帝大を目指すのは自然なことのように思います。

また、なんだかんだいって東大卒は就職にも強いです。中にはもちろん就職に失敗する人もいますが、メディアなどはそのめずらしい例を取り上げて面白おかしく報じ、「東大生は勉強はできても使い物にならない」という印象を作為的に与えているような気がします。

東大卒はなぜ就職に強いのか?

これは私見ですが、「国公立大はなぜ就職に有利なのか?」と考えたときに、いちばんの理由は、国立大受験では「苦手なものも努力して乗り越える力」が必要になるからではないでしょうか。国公立大の入試では、多くの大学や学部は5科目を必要とします。中でも東大は理系学部も二次試験で国語が必要です。5教科まんべんなく得意という人はあまりいないはずです。世間では「得意な分野を伸ばす」教育というのが一般的に支持されているようですが、東大であえてすべて必要としているのは、「専門性を伸ばしつつ、苦手なところにも取り組み人並み以上に成果を出す」人が求められているからだと思います。もしわたしが企業の経営者だったら、「これしかできません」という人より、やはりこちらが求める無理難題に、何とかして応えてくれる人材のほうが断然欲しいですね。

また、東大卒の有名人が海外の大学などと比べて、東大をディスっているのもよく耳にします。しかし、日本国内での就職を希望しているなら、現実的に国内のトップ大学を出たほうがスムーズに就職活動できるので、現実的だと思います。

東大卒の同級生の過去と現在

わたしの中学の同級生で東大に行った人がいます。中学のときはとにかく「頭がいい」イメージ。でも、とても大人しく、授業中にまったく発表しなかったので、先生方からは気に入られているとはいえませんでした。いわゆる「勉強だけできてもダメだ」とケチをつけられるタイプです。彼が東大に進学した後、東京で何度か会いましたが、そのときもまだ大人しいイメージは変わりませんでした。その彼も卒業後は大手通信会社を2社わたりあるき、現在は外資系コンサル会社に勤務しています。あの無口だった人がコンサル業でバリバリ世界中を飛び回っているとは、意外です。

その同級生の例をみても、さまざまな経験やコミュニケーションスキルは大人になってからもたくさん積むことができるんだな、と感じます。でも、何の心配もなく勉強だけに思い切り打ち込めるのは、実家でご飯が自動的に出てきて、バイトにもいかなくてすむ高校生のうちだけ。よく若いときに何かに打ち込んだ経験のある人は強い、と言いますが、その「何か」が受験勉強だとしたら、汎用性もあり実用的で大いに結構だと思います。

詰め込み教育には意味がある

ところで、日本の勉強は詰め込み式でダメだと批判されることがよくあります。東大の入試問題も、実は基礎的なことを積み重ね、組み合わせた良問が出題されるので、突飛な発想などはさほど必要ありません。だから考える力が乏しい人の集まりだというレッテルを貼られてしまうのです。

しかし、世界を変えるような発明というものの多くは基礎的な学問の組み合わせから起こっています。たとえば近未来の水素世界の実現に貢献しているのは、やはり古くから知られている化学の知識の組み合わせです。それに気付けるかどうかは、基礎的な教養が幅広く備わっていることが前提条件となります。だから東大に行くということは、その部分を最低限クリアして、新しいスタート地点に立つということなんです。

世の中では方法論が盛んに売り買いされています。たとえばわたしが今使用しているPCも、わたしのようにコンピューターの知識が0に等しい人でも、お金を払ってPCとそのシステムを購入すれば、簡単に使いこなせるようになっています。しかし、コンピューターを作ったのは、数学の知識や基礎理論を学んだ人たちです。

少し話が飛躍しますが、宗教思想についても同じことが言えます。たとえば仏教は、もともとは釈迦の哲学がさまざまにかたちを変えて、世界中に広まっていきました。釈迦が唱えた哲学を学ぶには広く門戸が開かれており、仏典を手にすれば誰でも無料で学ぶことができます。でも、それはとても難解で読み解くにはかなりの勉強を要します。だから多くの人は枝分かれした方法論を説いてくれる実用的な宗派にとびつくのです。1から勉強するより「〇〇すればあなたは苦しみから解放されます」という近道を教わるほうが楽だからです。しかし、その元の仕組みを作るのは学問の原理原則や哲学思想を学んだ人たちです。そういう人たちが世の中の多くの人に役立つことを研究するために集まる場所のひとつになるのが、東大なのだと思います。

東大に行くことのいちばんの魅力

ここまでいろいろと東大に行く価値について私見を述べてきましたが、いちばんの魅力は、東大の中ではものすごい人たちに出会える機会が増えることだと思います。

最近NHKのインタビュー番組で、たまたま続けて東大の研究室の先生たちの話を見ました。

お一人はSuicaのシステム導入に大きく貢献された工業デザイナーの山中俊治先生。

「デザイン」と一口にっても、都市デザインやファッションのデザインなどさまざまな分野がありますが、見た目の美しさだけをよくすることをデザインと呼ぶわけではないそうです。

番組中で先生にとって「良いデザインとは?」という問いに対して、山中先生は

それに接した人たちみんながハッピーになれるもの

と答えておられました。そして、現在は今までの量産向けの工業生産品から3Dプリンタの技術などを利用して、個々にあわせてカスタマイズする椅子や義足などのデザインを研究・実用化されているそうです。

もうお一方は遺体科学者の遠藤秀紀先生。

死んだ動物の遺体から動物の骨のかたちを研究し、その動物がなぜこのような進化を遂げたのかを解明しておられます。もっとも有名な研究成果のひとつが、パンダには7本目の指があることの発見だったそうです。

こういった発見が世の中ですぐ利益を生むか、と問われれば、そうではありません。でも、地球が太陽の周りをまわっている、ということは大発見だったわけですよね。

そういえばスーパーカミオカンデでニュートリノが質量もつことを発見しノーベル物理学賞をとられた梶田先生も、「その発見が何の役に立つのですか?」という問いに、「何の役にも立ちません」と笑って答えられていたことを思い出しました。

このように目の前の利益だけを追求するのではなく、広い意味で人類の進歩に貢献する学問を追求しているところが東大なのだな、と思いました。だからすぐに回収はできなくても、多額の研究費を投入する価値があるのだと思います。

また、番組中で「人間は今後どのように進化していくのでしょう?」という問いに対して加藤先生は、

人類は脳みそが大きくなりすぎてしまい、余計なことをたくさん考えるようになった。だから次の生命体に進化する前に、自分たちが戦争をしたり環境破壊して地球を住めなくしてしまい、滅亡する可能性があるのではないだろうか?でも、人類は絵をかいたり物語をつくったりすることができる。その芸術の能力をもってすれば、人類が今後よりよい方向に進むヒントになるのではないか。

とおっしゃっていました。

山中先生と加藤先生に共通して言えることは、人類を特別視せず、生物のひとつとして俯瞰して見ていることのようです。

こんな問いを投げられかけて、すぐに自分の言葉で真摯に答えられる大人は、子供たちのまわりに果たしてどれだけ存在するでしょうか?

人がつくった方法論にふりまわされず、その人なりの哲学をもった人たちに出会えるのが、東大なのだとしたら、しっかり勉強をしてそこに行く価値は大いにあるとわたしは思います。

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