アルコール依存症から脱出したい主婦

生き方・考え方・哲学

長い間自覚がありませんでしたが、わたしはアルコール依存症で、現在そこから脱出しようとしています。なぜこんなことになったかや、飲酒が日常生活に及ぼす影響などについて記してみたいと思います。

アルコール依存症のステージ

アルコール依存は、日常生活がままならなくなるほど重症化し、病院へ行ってから初めて診断される一種の病気です。でも、わたしは飲酒をする多くの人が依存症だと思っています。

たとえば、先日読んだ半沢直樹の原作「オレたち花のバブル組」などに出てくる銀行マンたちは、取引先を接待したり、出張先で同僚と会ったり、会社帰りに上司や部下とちょっと話をしたりするときは、必ずお酒を飲んでいます。どの場面も飲酒が不可欠かというと、そんなことはないはずです。しかし、何をするにもお酒を飲む口実に結び付けているのです。会社帰りにちょっと一杯、どこにも寄らなくても自宅に帰ってちょっと一杯・・、というふうに。

「むしろ仕事の潤滑油になるのならお酒があったほうがいいんじゃないか」「少量の飲酒は体にいいと言われている」等々・・・、これらはすべてアルコール依存からくる発想です。こういう人は、日常的にストレスを発散したり、体の疲れや気分の落ち込みを回復したりするのに、全面的にアルコールに頼っています。こうなると、本人に自覚はなくとも、立派なアルコール依存症。試しに何日かお酒をストップして、と言われてもおそらく無理でしょう。

このように、ご自分や周りの人で、日常生活からアルコールが切り離せない方はいませんか?

わたしはアルコール依存症というのは、軽症〜重症までステージがあるわではなく、依存症か非依存症のどちらかだと思います。自分では大して飲んでいない、常習化していないと思っていても、そこから脱出するのはかなり難しいことなのです。

わたしの飲酒歴

わたしがお酒を飲み始めたのは、上京した後の学生の頃です。最初は、友達と遊びに行くときにお酒を飲むようになりました。学生なので行くのは居酒屋やカラオケですから、ビールや酎ハイなどを飲んでいました。この頃は、外で人に会ったときに飲むだけでしたが、時にはハメを外して、記憶がなくなるほど飲むこともちょいちょいありました。

卒業後、少し働いてから、中国に語学留学しました。留学生は、授業は半日しかないし、アルバイトもないのでかなりヒマです。しかも寮に飲み友達がたくさんいるので、毎晩誰かの部屋に集まって飲んでいました。今思えばこの頃の連続飲酒がアルコール依存症になったきっかけだと思います。

帰国して働きはじめてからも、ほぼ毎晩お酒を飲んでいました。会社の飲み会や、それ以外でも同僚と飲みに行くこともしょっちゅうありましたし、家でもテレビを見ながら缶ビールをあけていました。これがまさに半沢直樹の状態です。

そして、お酒好きの夫と結婚し、毎晩楽しく晩酌するようになりました。特に週末はかなりダラダラ飲んでいたように思います。

出産の前後はあまり飲まなかったので、子供が生まれてからは飲酒量が一旦減りました。しかし、その後幼稚園に事務のパートに出始めてから、そのストレスでだんだん酒量が増えていきます。特に、パワハラ園長と一緒になった一年間で、かなり深酒をするようになってしまいました。夫婦で毎晩ビール+ワインをボトル一本あけるような感じです。悪夢のような一年でしたが、その後飲酒量がなかなか減りませんでした。

アルコール依存症を自覚したきっかけ

幼稚園を辞めてからも相変わらず毎晩の晩酌を続けていましたが、わりと楽しいお酒でした。しかし、実家に帰ったときに事件が発生します。

実妹と飲んでいて、口論になり、あまりにもムカついたわたしは、思わず妹の首を絞めていました。わたしと妹とは仲がよいほうですが、妹のほうが口が数段達者で、何を言っても言い返されるので、キレてつい手が出てしまったのです。

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薄々感づいてはいましたが、わたしはもともと酒乱の傾向があり、飲みすぎたときに腹の立つことがあると、暴力的な言葉を吐いたり、物に当たったりすることがあったのでした。

このときは、父と母が慌てて止めに入り、そのとき父に「お前はアル中だ」と言われたのです。

父にアル中よばわりされたときは、「そんなはずはない」と思いました。

しかし、首を絞めてしまうほど酔っぱらうのはさすがにマズイです。猛省してお酒を減らそうと試みましたが、うまくいきません・・。

これで、アル中とまではいかなくても、自分はアルコール依存かも、とやっと気づくことになります。

アルコール依存症と「向き合う」とは

実家での事件が起こる前も、確かにお酒を飲みすぎている、という自覚はありました。でも、お酒が大好きで、それが楽しみで生きているようなところがあったので、お酒なしの生活はもはや考えられなくなっていました。これこそがまさにアルコール依存症なのですが・・。

この頃の自分を思い返してみると、アルコールが原因で、日常生活に支障が出ていたことがわかります。週末飲みすぎたときは翌日半日何もできずに潰れていましたから・・。

しかし、これは自分でも「お酒を飲みすぎたから動けなくなる」という理屈がわかっていました。本当に怖いのは、お酒が原因で他のさまざまな行動も制限されてしまっていることに、気づいてないことでした。

そして、それはかなり酒量を減らしているつい最近までずっと続いていたことです。

たとえば・・・

・昼寝をする
飲酒により夜の睡眠が浅く、昼寝しないと一日もたないからです。

・貧血がひどい
わたしは貧血もちで、薬も飲んでいるのですが、フラフラしたり体がだるかったりするのをすべて貧血のせいにしていました。でも本当はお酒が体に残っていることがかなり影響していたようです。

・晩御飯の時間が早い
夕食=飲酒できる時間なので、とにかく早くご飯の支度をしようとしていました。おかげでスピート料理が得意になりました。酒量が最も多かった時期は、夕方にお酒がきれてイライラし、席について飲み始めると、やっと落ち着けました。つまり、晩酌が「迎え酒」となっていたのです。

・心臓が痛い
これは洒落になりませんが、急に胸が締め付けられるようなことが多々ありました。病院でみてもらっても数値やレントゲンであらわれるレベルではないのですが、明らかにお酒が原因です。ただでさえ貧血で心臓に負担がかかっているのに、飲酒も動悸の原因となったのでしょう。酒量を減らした今はなくなりました。

・手指の関節の痛み
整形外科で「ヘバーデン結節」と診断されました。わたしの調べではアルコール摂取による利尿作用も原因のひとつだと思っています。

今ざっと挙げたこと以外にも、夕食後は運転できないのでどこにも出かけられない、とか、細かいことを言いだすときりがありません。とにかくお酒中心で一日が回っていました。

でも、急にこんな生活になったのではなく、お酒を飲み始めてから20年くらいかけて、だんだんとこうなっていったので、長年アルコール依存の自覚がなかったのだと思います。

アルコール依存症を克服するための第一歩は、自分が依存症であることに気づくことです。これは周りの人にいくら言われても、なかなか認められないものです。

そして、幸い自分で気づけたとしても、ここから酒量を減らしたり、やめていくのはとても難しいものなのです。


ちょっと長くなってしまったので、続きはまたにします。

続きの記事はこちら→ このままアルコール依存症から脱却できるか?

次回は、この後わたしがどうやってアルコールを徐々に減らしたか、アルコールを減らしてから逆に不都合になったこと、アルコール依存症のわたしに対する夫や息子の反応など、について書きたいと思います。

そして実は、今は少量の飲酒も完全に辞めようとしているところです。そんなわけで、自分への戒めのためにもこの取り組みをブログに記しておこうと思い立ちました。お見苦しくて申し訳ないのですが、みなさまにもうは少々お付き合いいただけたらと思います。

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